2017/07/16

20170715-17_分水嶺トレイル(ソロ・Bコース)後編


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水とエネルギーの補給を済ませ、甲武信小屋を5時半頃に出発したのだったと思う。ペースは落ちてきていたが、前半に作った貯金のお陰で、その時間を食いつぶしてもまだだいぶ余裕があった。しかし、富士見の登りにさしかかるとなぜか脚が前に出なくなってきた。ペースが極端に落ちている気がするが原因がいまいちわからない。眠いと口に出してはみるものの、実際は眠い感じはそれほどないし、脚も痛くなく筋肉痛もあまりない。となると矢張り普通に考えてこのペースの乱れは疲労からくるものなのだろうか。

抗いようのない眠気が訪れて、それでも動かざるを得ない時のためにと思って、カフェインの錠剤を持参していたのだが、眠くないときにカフェインを摂ってはいけないなんてルールはない。単に集中したいという時にも摂って良い筈だ。実際、トレランのレースの時はカフェイン入りのジェルをそういう目的で摂取している。本当は、眠気が錠剤で吹っ飛んだ!みたいな感覚をギラギラ味わいたかったのだが、なんだかこのままだと歩きがダレるなと思って、集中力アップのために錠剤を飲んでみることにした。効果は6時間とのこと。錠剤を投入した富士見の山頂あたりでは、サキさんのお友達が逆走で応援ランをしているのに出くわすことができた。

この区間は、事前に試走をしてあったし、しかも試走をした時は残雪が凄くて踏み抜き地獄だったので、それに比べたら雪もないしきっと何の問題もなく通過できるだろうと思っていたが、違った。とにかくきつい。特に、想像以上にきつかったのが国師ヶ岳の最後の登りだ。偽ピーク的なものが何度も続いて、山頂かなと期待させては裏切るというのを数回繰り返す。あまり疲れていない時に登るとそこまでしんどい感じはしないのだが、疲れた状態で登るのは本当にしんどい。というか、どこを歩いているかは関係なくて、単純にここまで疲れた状態で山を登っているというのが初めてなんじゃないのかという気がしてくる。もうひたすらつらい。国師まだか国師。しかし、そうこうしているうちに私は少しずつ進めるようになってきた。逆に今度はサキさんが眠気にやられ始めてところどころ止まって仮眠をし始めた。そのまま寝てたら虫に刺されるよ〜と言っても、ちょっとだからーと言ってそのまま座って眠ってしまう彼女。私は何故か細切れの睡眠ができなかったからカフェインを投入したのだけれど、こうやって少しずつでも仮眠が取れるのであれば絶対にその方がいいに決まっている。眠れていいなぁ、羨ましい。サキさんは歩くのが早いので、サキさんが眠っている間私が歩いて進んでいても、必ず私に追いついてしまう。眠らずにひたすら進み続ける私と、進んでは眠り進んでは眠りを繰り返すサキさん。いずれにしても二人ともギリギリのところで闘っていた。国師はまだか。
9:30、ようやく国師ヶ岳の山頂に着いた。もう本当にヘロヘロ。本当に長い長い登りだった!山頂で特に何をするわけでもないので、さっさと次の関門である大弛峠へ向かう。さぁ、待ちに待ったカレーが待っているぞ!

木段をテンポよく下ってゆくと35分ほどで小屋に到着した。まだ手持ちの食料はたっぷり残っていた私と、もうほとんどの食べ物を食べ尽くしていたサキさん。二人で小屋のカレーを食べ、サキさんは小屋のお稲荷さんやら秩父B級グルメであるみそポテトやらを調達した。手持ちの食料ではなく私がカレーを食べたのは、矢張り、ホットミールが食べたかったから。ガスを持たない代わり、小屋では小屋のご飯を食べようと決めていた。小屋前に設けられたエイドで無料のお味噌汁とお菓子をいただき、ここではまったりと1時間にわたる大休憩をとることとなった。
ご馳走様でした!
ここでもサキさんは横になって僅かばかりの仮眠をとっていたが、私は相変わらず眠れないのでそのまま座って体を休めることに。エイドのお味噌汁は、切ったネギと出汁を味噌に混ぜたものをお湯で溶かすというお手製即席味噌汁で、お好みで乾燥ワカメを入れることができた。これがまた美味しくて、疲れた体にじんわりと染み入った。エイドを後にするとき、エイドの方がナルゲンボトルにそのお味噌を入れて、冷汁みたいなものを持たせてくれた。その後しばらくの間、摂る水分のすべてがお味噌汁になった。

11:15、大弛峠出発。ここから朝日、金峰、富士見平小屋と人気の高い山々を繋いでゆく。時間帯的にも一般登山客の方もかなり多かったと思う。疲れてはいたけれど、荷物も重くないし、そこそこのペースで登山客の方を抜きながら進むことができた。富士見で入れたカフェインがまだ効いていて、眠気もあまりない。体が疲れて眠気というサインを出すから体は休むことができるのに、眠気というサインを強制的にOFFにしているから、体の疲れだけが先行して不思議な感じがした。体の疲れといっても筋肉疲労とかそういうものではなくて、目の奥が重いといったような疲労だ。本当は閉じている筈の目を無理矢理見えない力でゆっくり開かされているような感じ。
金峰山からの下りで、富士見で遭遇したのとは別の、サキさんのお友達と会う。
写真の中の私達の笑顔は、完全にひきつっていた。もうね、疲れすぎてうまく笑えない。
遠く遠く見えていた五丈石がようやく目の前に現れ、ああやっとここまで来たんだなぁと思うも束の間、まだあと12時間くらいはかかるんだっけと我に帰る。先は長い。

どのあたりからだったかは忘れたが、息が上がらないが故にペースアップできる下りセクションで、私はしつこいぐらいに鼻血が出るようになってしまっていた。この写真を撮ってもらった前後にも鼻血を出していたと思う。自分のこととはいえ、鼻血が出てはティッシュを詰めてしばらく静かにして、止まったのを確認し様子を見ながら再スタートをする、というのを何度も繰り返していると面倒で本当に嫌になってくる。ソロでのエントリーなので、私が鼻血を出したからといって別にサキさんは私を待っている義務もなければ、私にはサキさんを待たせて良いなんて権利もなかったのだが、彼女は私を待ってくれたし、私は彼女に待っていて欲しいと思っていた。普段ひとりで山に入ることの多い私達が、お互いそんな風に思って長いこと一緒に居たのはとても不思議だ。

金峰山から富士見平小屋に至るまでの区間で、私達二人は少しだけ離れた。私が彼女のペースに追いつけなくなる形で、二人の間には距離ができた。富士見平の関門に到着すると、彼女はまだ休憩中だったのでしばらく一緒に過ごしたが、彼女は小屋を出発するとき「地図読みの区間を一緒にいるのはよくない」とか「一緒にいるのはダメな気がする」とか、そんなようなことを私に言い残し、細い肢体でするすると沢筋へ降りて行った。富士見平小屋から瑞牆山へのルートは一旦沢に降り、再びその沢から岩を攀じ登りながら山頂へ向かうというルートを辿るのだが、登りに転じた頃、もうこれは着いていけないし、着いていくべきではないなと感じた。後半戦とはいえ、思っている以上にこの先が長いことはわかっているつもりだった。自分のペースを守った方がいい。

私が彼女と初めて会ったのは2016年のUTMFの会場だった。私と一緒に出場した友人の友人だったのだが、レース前日に道路で一言二言交わした程度。一緒に山に行ったこともなければ、レースで遭遇したこともなく、ただ周りの噂で、強くてマラソンがとても速い人だというのを知っている程度だった。

バラけたらきっと私は負ける。彼女はロゲイニングもやっているようだったので地図読みも強いのだろうと思ったから、予め読図セクションの試走をしてある私が有利であるとも思えなかった(実際彼女がロゲイニングに出る時はペアを組む相手が地図読みに長けているだけで本人は地図読みが苦手であると後で知った)。分水嶺はいわゆるレースとは違った大会だし、順位とかそういうことじゃない。そもそも自分は120km移動するということ自体が初めてだったし、欲を出すようなことでもない。そう分かってはいても矢張り誰かに負けるのは悔しかった。せめて一緒にゴールしたい。黙々とマイペースで瑞牆山を登っていたが、私はサキさんと、もうひとり別の女の人にも抜かれて(この人はAコース・鴨沢からの80kmコースの人だったが)、その差は広がる一方だった。サキさんに離されるのはわかる、でも別の女の人に今ここでこんなに差をつけられるのはちょっとおかしい。脚が思うように前に出ないにも程があるのではないか、そう感じたのは沢から瑞牆に向かう登りに入って10-15分くらい経過した頃だったかと思う。体が本当に鉛にように感じられ、呼吸をしても思うように肺に酸素が入らない。はたと気付いて前回カフェインの錠剤を飲んだのがいつか考えてみると、ほぼ6時間前。そうか、カフェインが切れたのだ。眠いのだ。慌てて錠剤を摂取すると、そこから10-20分くらいでカフェインが効いてきた。登りが下りに転じる少し手前くらいから再び体が動くようになり、頭が冴えてきた。わかりやすいなぁ・・・。サキさんとの登りのスピードの差を目の当たりにして、これが実力の差なのかとかなり凹んでいたのだが、これは眠気の差だったのだ。うーん、眠くなければ着いて行けたのだろうか・・・いやしかしそれだけでもないような。
瑞牆山の山頂は踏まなくてもよいので、そのままスルーして不動沢へ下る。このとき既に16時半過ぎ。このあと沢へ出るあたりからが今回の分水嶺の最難関、読図セクションだ。読図セクションに突入する直前の林道で、絶対に追いつかないと思っていたサキさんらしき姿を見かけたが(本人ではなかったかもしれないが)、読図セクション手前だったのでそのまま静かに森の中へ入ることにした。試走で突入した極めて薄い踏み跡を辿り、ふかふかの土に靴をうずめながら沢に向かう。沢を渡る頃、雨足が強まり土砂降りになったが、すぐ止むだろうと高を括っていたら案の定すぐ止んでくれた。廃道のような林道を進んだ後で尾根に乗り上を目指すと、フシノソリと石ッコツの間のコルに出た。

この先、石ッコツから信州峠の間の下りあたりで完全に日が暮れてしまい(暗闇で鼻血を出したりなどもしつつ)何も見えず苦労した。しかし試走してあったのと、試走の際注意が必要だと思ったポイントにはGPS上でピンを打っておいたのでそれが助けになった。それでも、昼間の試走で注意が必要とも思わなかったようなところで迷ったりしたのでだいぶ時間がかかり、結局笹薮の中をうろうろしている間にあっちこっちから色々な集団が現れて合流し、20:50に信州峠に着いた頃には結構な大所帯になってしまった。その中にサキさんもいた。追いついたのか、それとも私が追い抜いてから再び追いつかれたのかよくわからなかったが、私達は再び一緒になった。時間的にはCTの0.7、4時間睡眠で20:12着予定だったので、そこまでのビハインドでもない。たしかここで最後のカフェインを投入したんだったと思うが、ちょっと記憶がない。逆算して5-6時間あれば、ゴール後眠れるだろうと踏んでここで飲んだのだったような気がする。

サキさんより少し先に信州峠を出発し、まずはひとつめのピーク横尾山へ向かう。信州峠から先は歩いたことのないルートだ。瑞牆〜信州峠間の試走に行ったとき、峠で出会った家族連れはちょうど横尾山から下りてきたところだったのだが、初めての登山だという幼稚園児くらいの子供もいたので、ここはメジャールートだしきっと普通の里山だろうと思っていた。ところが、尾根にあがる手前の斜面がまるで壁のようで「殺す気か!!!」と言いそうになった。この期に及んでこんな斜面なのか。

斜面に張り付いている間にサキさんと、瑞牆山で見かけたAコースの女性が追いついてきた。横尾山をすぎて飯盛山までは再び破線ルートとなるが、瑞牆〜信州峠の一部が無線ルートだったことを考えるとまだマシだろうと思っていた。しかし、無線だろうが破線だろうが、歩きにくさわかりにくさの傾向はそれぞれというもの。この破線ルートはひたすら笹などワサワサしたやわらかい草の藪だった。背丈を越えるすすきのようなものに覆われたところもあれば、膝下くらいの高さの笹もある。ヘッドライトの明かりが葉に当たって跳ね返ってきて眩しいとか、足元が見えずに、横倒しになった枯れ木や横に這った丈夫な茎などに足をとられることも屡々だった。それと、これまでずっと元気だったサキさんがとうとう眠気で体力を奪われてぼうっとし始めたのが印象的だった。ここへきて、女三人が口々に「眠気はヤバイ」「息が吸えない」「肺に酸素がこない」というトークを繰り広げた。それまでは、私が体力的に劣っていてまだまだ弱いから息が吸えなくなったりしてしまうという、もしかしたら特異なもので、サキさんはそうはならないんだろうなぁとずっと思っていたけれど、彼女は眠気に対する耐性が強かったのと、眠い時に興奮を抑えてきちんと眠れていた(もしくはあまり興奮していなかった?)のとで、眠気によるダメージをここまで受けていなかったというだけなのだ。まさかとは思ったけれど、きっと普通の人はみんな眠すぎると息が吸えなくなるのだ(たぶん)。こんなの初めてだ。

眠いサキさん、あまり山歴がないから先頭は歩けないというAコースの女性(これだけ聞くと、どうしてソロにエントリーできたのか不明・・・)の二人を従えて、藪漕ぎセクションではずっと先頭を歩いた。暗闇にうかぶ草の谷のシルエットを辿り、足裏の踏み心地を確認しながら進む作業は結構しんどかったが、後ろに人が居ようが居まいがあまり関係ないので黙々と進んだ。途中明るい時間帯に自分を引っ張ってくれていたサキさんへの恩返しができるのかなぁというような気もしたが、まぁ彼女は私がいなくてもこのセクションを一人でも歩けただろうから、自分が居た価値があったかどうかは謎だ。

平沢牧場付近では雨も降ってきて寒かった。途中で合流した男性の道案内に惑わされたりもしたが、なんとかはるばる飯盛山の分岐まで辿りついた。飯盛山は、大会で定められた電話連絡ポイントのひとつで、それ以外は甲武信ヶ岳、金峰山でそれぞれメール連絡をすることになっている。このときその男性も含めて4人で居たので4人まとめて連絡を入れたが、特に「誰が着きます」という報告は必要ないようだった。

ここからゴールの平沢峠まではCTで45分でメジャールートだし、全く心配もしていなかった。しかし最後の登り(平沢山)があるはずなのに下りすぎじゃないかとAコースの女性が言い出し、方角とGPSを確認してみると確かに向きが違った。もっと下りた後じゃなくて良かった〜なんて話をしながらとりあえず元の場所へ戻ってみるものの、正解がどこなのか、道の入り口が全くわからない。道がある筈の場所に道がない。暫く右往左往して見つけたルートには入り口がなくて、なにやら別のどこかから繋がっているようだった。こんな道ってあり得る?でも絶対ここだよね、と行って道を進むとようやく「しし岩」の文字。この道は平沢峠・獅子岩に続いている!後少しだ!
暫くするとAコースの女性が「眠いしもうここまでくれば安心だから寝ていく」と言いだして道脇に寝床を作り始めた。えー、もう少しなのに?と促したが、もう少しだけど、別に急がないし、寝たいというのでサキさんと私は再びゴールを目指した(あとでわかったことだが、この人がもしここで眠らずに下ればAコースソロ女性の優勝だったw)。途中、離れたりくっついたり、他の人が加わったり、大所帯になったり、そしてまた小さなパックになって、最終的には二人きりになった。後になってサキさんから「(瑞牆山のあたりのことを指して)待っても待たなくても私たちどのみち同じようなペースだから、先にいってもまた会うだろうなと思って」とメールを貰った。自分よりすごく速いんだろうと思っていた彼女からのその言葉、なんだかとても嬉しかったし、きっとやっぱりこの時は全体的にペースが似ていたのだろう。飯盛山の道迷いが影響したため、飯盛山からの所要時間が想定以上にかかってしまい、タイムは51時間、時刻は3時丁度だった。予想タイムは、よくて50時間だろうと思っていて、予想の本命はCT0.7掛け、仮眠2回の50時間55分としていたから、途中のペースの波があったとはいえ、トータルでの誤差は僅か5分だったと言える。タイムは振るわなかったけれど、なんというか、この予想タイム通りに到着したということは自分的には凄かったなぁと思った。

平沢峠のゴール地点は一般登山客の方も普通に利用されているので、誰かがゴールするときだけ横断幕が手動で出てきて、それ以外は端っこに寄せられている。ゴール後は大会本部からビールかコーラが進呈されると聞いていたのだが、きっと疲れすぎててビールどころじゃないかもしれないよねーなどとサキさんと話しながら下山していた。結局はビールをプシュっと。半日くらい前にゴールした女性ソロBコース1位と思われた人はコースアウトをしていて結局参考記録にしかならず、サキさんと私が1位であると知らされた。こういうこともあるんだなぁ。一気に酔いがまわり、ぐるぐるふわふわしながらツェルトを立て、臭い臭い靴下を外に脱ぎ捨てて就寝。興奮していてしばらく眠れなかった。

翌朝。主催の武田さんと記念撮影。
目がさめると、まわりにたくさんあったみんなのツェルトはきれいにひとつもなくなっていて、皆帰った後だった。ツェルトの中がうだるように暑くなってきて目を覚まし慌てて撤収すると、早々に怪我をしてリタイヤしていたチームメイトのOさんがスイカを持って応援側に回っていた。特に急いで帰る予定も何もなかったので、のんびりと応援をしながらスイカをいただいて帰路についた。

長くて長くて長すぎて、似たような道が延々続いて飽きてきて、それでもタイムアウトにはならないしリタイヤするほどのトラブルにも見舞われていないから進むしかない。ガツガツ進んで120km歩き通せる自信もないから、ほとんど走ることもなく、全体的に抑えめでいかなくてはならない我慢大会のような感じがしたこの大会。一度出場したからといって次回の大会が全く同じコースというわけでもないので今回の教訓がまるまる生きる訳でもない(ちなみに次回は後半がかなり変わるらしいとすでに発表されている・・・)。しかし、これまでの縦走や山行がそのまま生きたような気がしたのは確かで、大会の後ほとんど全く筋肉痛が出なかったことにはとても驚いた。体力的には無理せず淡々と進んでいただけで、眠さに抗ってまで歩いていたことによる疲労こそあったけれど、それ以外の疲労はなかったのだ。普段やっていることを、ただ夜間も止まらず歩くというイレギュラーを加えただけで、お金を出してやることなのかというと少し疑問もあるけれど、このルートを個人的に夜通し歩いて51時間で歩くなどということはきっとしないだろうから、それだけでも大会に出る価値はあるのかなと思った。こうでもしないとこのルートをこんな短時間で歩けないし、かといって長い休みがとれたらもっと他のところに行ってしまってここを歩くチャンスはなかっただろう。

次回またこの大会に出場するかどうかは分からないけれど、直後に感じた「もうしばらくはいいや」感は大分薄れてきているので、もしかするとまた出るかもしれない。でも連休だしどこか普通に縦走に行きたいような気もする。とりあえず、お疲れ様でした!




2 件のコメント:

  1. やすよさんとあったのは、大日岩のあたりだったよね、懐かしいところ、走っていったわけだな。なんか、たのしい。
    小屋と縁が切れてしまい、あのあたりには、もう行ってないけどね。

    いつもながら、物語、楽しませていただきました。

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    1. 長らくお返事していなくてすみませんでした・・・いつもご覧いただきありがとうございます。奥秩父のあの界隈には幾度となく足を運んでいるので、すべて繋いだこの大会では色々なことを思い出しましたよー。面白いです。

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